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2024/04/24 15:04 |
戸惑う心。
この記事は、ピースリボンを集めてる活動をしてる際に、
私の中で想った、戸惑い、矛盾、そして悲しみを綴る記事です。

ピースリボン活動とは関係がないので、内容は、「つづきはこちら」に
書き残そうと想います。


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ピースリボンのメッセージで目に留まった言葉があった。
「GO HOME!」と書かれた文字。

私は、活動をしていて、たくさん考えていて・・・・。

辺野古を守っている人。
きっと最初は、
「自分たちの住んでいる故郷に基地は要らない」
「景色を変えたくない」
「孫にも、この海で育ってほしい」

という、本当に個人的な気持ちからだったと想う。

だけど、それが、自然保護とも結びつき、戦争と平和問題にも結びつき、
今では沖縄だけの問題じゃないと、本当に想っている。
どうして内地ではこのように頑張っている人の事をもっと報道しないのか、
とか、
沖縄の置かれている現状を報道しないのか。
それが、腹立たしくて、悔しい。

人の力で、辺野古のことが、高江のこともだが、伝わっていくのは、
そこで頑張っている人に魅力を感じてやまないから。

最初は個人的な想いからの行動だったとしても、
やはり世界規模の問題に直結しているのだから、
私は、地元の人たちの頑張りを尊敬している。
そして、もっと力になりたいと、望んでいる。

だけど、ずっと考えていた。

人間と自然の「命」が等価値なら、
人間と人間の「命」もまた、等価値だ。

あたしは、一方的に、米軍の軍人さんが悪いと、どうしても思えない。

故郷を離れて、極東の小さな島で日々訓練活動をしている。

例えば、結婚していなくて、単身で来た人がいたとする。
親、友達は、いない。
会いたい人にも、会えない。

例えば結婚してて、家族で移住してきた人がいたとする。
つれられてきた、奥さんは、それはとても孤独なんじゃないかな、と想う。
親にも会えない。親友にも会えない。
子供も、周りと上手く溶け込めるのか、おじいちゃんや、おばあちゃん、そして
何よりも、故郷の友達に会えない辛さを抱えてるんじゃないかなって想う。

そして、例えば、家族を置いて単身できた人がいたとする。
待っている家族は、夫であったり、父親である彼の安否を、毎日心配しているだろう。
戦争最中のところに派遣されたとしたら、毎日、気が気じゃないと想う。
そして、故郷で待たせている家族に、早く会いたいと想っているんじゃないかなと、想う。

もし私が、知らない国で言葉も通じず、文化も違う外国に、転勤したとしたら、
それは、毎日がサバイバルだ。
物凄い孤独感に、きっとおかしくなってしまいそうになると想う。


沖縄に滞在しているアメリカ兵は、どのような経緯で軍人になったかは分からない。
生き抜くための、方法がそれしかなかったのかもしれない。
誰だって、死と隣り合わせの世界で、命令があれば、人を殺し、そして殺されてもしかたがない、そんな仕事、
したくない、と想う。

もし、沖縄の基地でしてることが、「殺人マシーン」を作ること、と定義してる人がいたら、
それは、とても悲しいじゃないか・・・・。
だって、その「殺人マシーン」になる前は、ごく平均的な価値観で、数々の胸を締め付ける試練を通過して、
殺人マシーンに改造されてしまうなんて、こんな辛くて悲しいことは、ないんじゃないか。

人を殺さないと、自分が殺される、という環境におかれるなんて・・・・。

ごめんなさい、言葉が上手く出てこないけれど、
だけど、
基地を作ろうとしている人は、兵隊じゃなくて、手が血で染まっていない「お偉いさん」がしてるわけだから、
基地反対=米軍嫌悪
には、ならないでほしいと想う。

確かに、米軍の一部の人間が沖縄で、沖縄に住んでいる人に、とても酷い事件を起こした。
日本人を見下されているかもしれない。
けれど考えてみたら、日本人も日本人同士で殺人なんて日常茶飯事で、生まれた子供をすぐに殺して埋めたり、親を殺す子供がいたり、わいせつな行為をする人がいたり、そういうのは、残念なことに、当たり前に日常で起こっている。

それと、どう違う?

在沖米軍も、私達と同じ人間という一つの「命」
米軍が起こした事件があって、イコール米軍全員が悪者だっていう概念こそが、
人権問題なんじゃないか・・・・。


ずっとこういうのを考えていて。
でも、辺野古に基地を作らないで、グアムにも移設なんてしなくて、軍縮を願ってる一人の人間として、
そして、内地で沖縄の状況を伝えて広めていこうと想っている、一人の人間として、
そういう誤解や刷り込み、偏見は、避けたい。



何らかの問題の反対運動をしている団体などのフライヤーやHPをみたら、
とても過激に書かれていることが少なくない。
問題にたいして、反対を掲げるのは大変で、労力も、精神力も使う。
だけど、
相手も、同じ人間という「命」であって。
反対するばかりが、頭の中で固まっちゃって、相手の気持ちを考えることを忘れてしまっている人が、、、いるような気がする。
もちろん、相手の気持ちを考えたら、反対したくても出来なくなっちゃうけど、

例えば、辺野古。
「基地じゃなく、ジュゴン保護区を」
っていう提案を出す。

私はそれが、最も分かりやすく、そして、最も反対運動をするのに必要なことだと想う。

命を守る為の憎しみは生まれてほしくない。

ピースリボンに書かれていた、米兵への直接的な攻撃制のメッセージは、
こんなことを考えている私にとって、辛く悲しいものでした。

問題の矛先は、決して間違ってはいけない。
間違って伝え広めてはいけない。

だけど、どう伝えたらいいのか、私はまだ、答えを出せないでいる。

でも、米兵さんにとっても、やっぱり「悲しみは、いらない」


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2009/03/21 17:16 | Comments(0) | TrackBack() | 想い事

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